人の意志は自由なのだろうか

1983年、UCサンフランシスコのベンジャミン・リベットは、とある実験を行いました。この実験の被験者は、自分の好きなタイミングで手首を動かします。そのときに脳を調べると、手首を動かそうと意識するより前に、準備電位という信号が発生していました。

つまり、人が手を動かそうと思う、その前に、脳が手首を動かす準備をしていたというのです。

同様に、マックス・プランク研究所のヘインズ博士らの実験でも、ボタンを押そうと意識をする前に、脳の補足運動野が、ボタンを押す準備をしていることがわかりました。

このことから、一部の脳科学者は、人間には自由意志がない、と主張しています。

彼らは、人が意識しないうちに、環境や刺激を受けて脳が決定を行い、その後に、人はそれを自分の意志として意識する、と主張します。人間の意志は、あたかも環境と刺激という変数によって決まってしまっている、と言うのです。

この考え方の当否はともかく、

私たちの意志が、環境の影響を大きく受けていることは事実です。環境から独立した個人というものは、いわば幻想であって、私たちは自分の環境まで含めて私なのです。自分の人間関係や社会とのかかわりも、自己の重要な要素として、大切に育てていきたいですね。

 ☆ ☆ 

ところで、

人間には自由意識はない、という一部の脳科学者の主張、

実験室における、単純な「押すか、押さないか」の判断において、脳が意識よりも前に準備をしているから、と言って、自由意志がない、と言ってしまうのは少々極論に思えます。

このような実験ではなくとも、決まった動作をこれから行おうとするとき、ふっと自分の中でタイミングがあう瞬間を感じたことがある人は多いのではないでしょうか。自分の中の集中力が高まってきて、今だ、というときに、からだが勝手に動くこともありますね。そんなときは、自分の意志というより、体の中から満ちてくる何かに動かされるような、そんな感覚があります。

でも、そのことから、自由意志がない、と言えるのでしょうか。

現実における意思決定は、より複雑な状況で行うもので、脳の自動的な計算だけで処理するには、複雑すぎます。私たちが向かい合うのは、答えのない問題ばかりなのですから。

結局のところ、自由意志がない、なんていうのは、科学者の決定論的世界観という偏見にすぎないのではないか、と個人的には思います。

なお、

UCサンタバーバラのジョン・プロツコは、「自由意志は存在しない」と考えると、人は衝動的でわがままになり、他人に非協力的になる、という研究を発表しています。ミネソタ大学の研究などでも、「自由意志はない」と教えると、カンニングをする傾向が高まるといいます。自由意志がないと思うことで、倫理的な責任から逃れられる、と感じるのでしょうか。

小さな科学的事実を、あたかも普遍的な真実のように考えてしまうことは、未知のことが多い分野では起こりやすいものです。こうした単純化によって、豊かで複雑な人間性を解体するような発想には、気を付けたいですね。

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