誘惑から逃れる方法?

オスカー・ワイルドの唯一の長編「ドリアン・グレイの肖像」では、シニカルな悪魔的人物であるヘンリー卿が、主人公ドリアンに、「誘惑から逃れる唯一の方法は誘惑に屈することである」という有名な言葉をささやきます。

ドリアン・グレイは、ヘンリー卿によって快楽主義へと堕落させられますが、私たちの場合、いちいち誘惑に屈してしまうと、まともな生活が成り立ちません。特に、生活習慣を変えたいとき、必ず、今までの習慣が誘惑として立ちはだかります。

早起きしたければ、暖かいベッドで眠っていたい誘惑。食生活を改善したければ、甘いお菓子の誘惑。お酒の量を減らしたければ、もう一杯の誘惑。私たちが向上を願えば、それに対して、必ず誘惑が、立ちはだかってきます。

これらの誘惑から脱却する方法を、屈する以外にも、いくつか知っておくと、生活習慣の改善も比較的スムーズですね。

まずは、自分にとって、その誘惑が「白か黒か」的なものか、量を調整できるものか、を把握しましょう。それによって二つの手段に分かれます。

一つは、誘惑を断つと決めて、徹底的に排除する、という手段。

昔、バイクの3無い運動っていうのがありました。「乗らない」「買わない」「免許を取らない」。中には4無い運動といって、「バイクを見ない」というものまで。バイクを見ないって、いったいどうやって道を歩くんだろう?と思ったことを覚えています。

しかし、もし、自分が本当に誘惑を断ちたいならば、誘惑の原因を見ない、というのは効果的です。

家の中にはお酒は置かない。買物に行ったときにお菓子のコーナーは立ち寄らない。ケーキ屋さんの前は通らない。など、やや極端な方法ですが、自分の人生に存在しないもの、としてしまうのは意外と楽なやり方なのです。

一方、

少量で満足できる誘惑であれば、無理に全部断ってしまうよりも、少量だけを心から楽しむ、というのが良いでしょう。

なんとなく口さみしい、とか、おなかが空いたから、そのへんの駄菓子を口に運ぶのではなく、お菓子そのものを楽しむために、しっかりと選んだおいしいお菓子を少量、心から味わって食べる。あるいは、毎晩、晩酌を少しだけ楽しむ。などの方法が向いている場合もあります。

どちらが向いているかは、誘惑の種類と、その人の個性です。

ですが、少量で抑えられる場合と、少しくらいなら大丈夫という言い訳は、はっきり区別してください。

「一口食べたって変わらない」「一口飲んだって大丈夫」そんな言葉を口にしたことはありませんか?確かに、一口そのものには大した意味はありません。ですが、その一口が作り出す習慣には大きな意味があるのです。

 ☆ ☆ 

クルーグマンのミクロ経済学という教科書に、「誘惑から逃れる方法を買う」というコラムが掲載されています。それによると、食べ過ぎないために、大袋よりも割高であっても、100kcalパックのお菓子を買う消費者が増えている、と言います。消費者は、食べ過ぎないという効用を、追加的な費用として払っている、というのです。

逆に、

誘惑に支払うコストを上げてしまう、という方法もあります。誘惑に屈するときに払う罰金もその一例ですが、誘惑となる行為そのものを、面倒くさいことにしてしまうという方法もあります。

ゲーム機はいちいちしっかりと箱にしまう、とか、お酒は(買物ついでに買わず)飲みたくなったら、わざわざそのたびに買いに行く、なんてやり方もありますね。

確かに、人間は誘惑に弱いものです。ですが、誘惑に屈するしか方法がない、なんてことはありません。いろいろな方法を試してみてくださいね。

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